鉛筆削り~52日目~

外に何か用事がある日に限って気温が下がっているような気がしているissoです。気候の嫌がらせなのでしょうか。

私の大事な日は誰かにとって普通の日でありまして、私のどうでもよい日は誰かにとって大事な日であります。嫌がらせだ、というよりもそう考えるほうが良い気がします。

 

鉛筆削り

正月、久しぶりに祖父母の家を訪ね、「鉛筆削り」を発見したことを思い出しました。「鉛筆削り」というものは、いかにも「昭和のビジネス」している商品だ、と感じます。「

削る」という作業は基本的に刃物が使われます。その中でも、特定の物を削る用途である鉛筆削りは、汎用性が低いです。ナイフであれば、切る、削る、剥ぐ、など汎用性があります。しかし、ナイフで鉛筆を削ろうとしたところ、時間と労力がかかります。その問題を解決したのが、「鉛筆削り」です。ハンドルを回すだけで鉛筆が削れますし、自動で削れる商品もあります。

では、なぜ今日あまり需要がないのでしょうか。

 

それはシャープペンシルの登場が主な要因でしょう。

シャープペンシルの特長は、ケースと芯が分かれており、芯がなくなれば芯だけ買い替えればよい点と、削る作業がない点です。従来の鉛筆では、削る作業により、鉛筆全体が短くなる消耗品でした。しかし、シャープペンシルは書くことによる芯の消耗があっても、新たに芯を追加するだけでよいので削る作業が省かれました。

 

「鉛筆削り」のような特定の用途、そして特定の物に依存している商品は、現代においてかなり淘汰されてきたように思えます。それは、画期的な商品だけでなく、様々な用途がある汎用性の高い商品に取り替えられることが要因でしょう。

ゲームはゲーム機で、電話は電話機で、インターネットはパソコンで、だったのがスマートフォンにその機能が集約されました。

 

 

 

サッカー界も全く同じ現象が起きております。

守備の選手や攻撃の選手などというくくりはなく、汎用性のある選手が求められています。つまり、デカくて強くて上手くて走れて早くて速くて賢い選手が求められています。

ずっと求められてはいたのでしょうけど、約10年前までは非現実的なこととして捉えられていたように思えます。しかし、現在上記の何でも屋のような選手は、世界中にいます。育成年代においてもそのような選手でないと生き残れないように思えます。

 

 

ビジネスにおいてもサッカーにおいても、何かに特化すると汎用的なものに集約され、そこからまた特化したものが出現し、また汎用的なものに集約される。

この繰り返しが進化と淘汰ではないかと思う今日この頃の私であります。