褒める行為についての整理~55日目~

1000円カットを適宜利用することがあるissoです。

髪の毛の長さはもう少し欲しいけど、透いてほしいしサイドと襟足は刈り上げてほしい時期が私にはよく訪れます。その時に利用するのが1000円カットだー!ということでありまして、本日その通りのオーダーで1000円カットに行ってきました。私と同じ境遇の方いませんかね。私にとってはコスパ最強の美容室です。

 

褒める行為についての整理

「褒めることとは、すぐれているとして、その人や事を良く言う。」

冷静にに見ると、あれ?優れている?良い?ってなりませんか?

誰から見て優れているのですか?何を基準に良いとしているのですか?優劣や良し悪しは客観でしょうか?いえ、主観です。キャッチコピーみたいになってしまいました。

つまり、褒めることとは、こちらの期待に沿った行いをした相手に対する評価だと私は解釈しています。

 

極端に言えば、洗脳ですよね。

「それは良い行いだ」「君のしたことは素晴らしいんだ」「きみかわうぃーね」

など、大いに主観が入り混じったことを相手に伝え、コントロールさえできてしまうかもしれません。というより、コントロールになってしまうかもしれません。

 

ここで、私は指導者をやっているので、指導者の立場で考えます。

指導者が選手を褒めることには、どのような利点と欠点があるのでしょうか。

 

利点

・褒められて嫌な気はしない。

・指導者が自分に自信を持つ

・承認欲求が満たされる

など(あんまし思いつかんかった)

欠点

・選手と認識にズレがあると信用が薄れる

・指導者の価値観の中で納まる

・承認欲求が大きくなる

など

 

私の解釈では、「褒める」ことには欠点のほうが大きいです。

「たしかにぃ」と納得された方の中で、「じゃあどうしたらいいんだ!」と思う方もいらっしゃると思います。

そこで、読書の知識と私の経験から「褒める」に代わる伝え方を書きます。

 

 

それは、「事実を言う」ことです。

 

 

良い例の前に良くない例としては、

「リフティング100回できたよ!」に対して「すごいじゃん!偉いじゃん!」は微妙かなと思います。

なぜかと言うと、その直後に「俺は150回できたよ」って言う選手がいたとすると、それに対しても褒めなくてはならなくなり、100回出来たことが凄くなくなってしまいます。自分の主観でその選手が100回出来ることはすごいと決めつけているのです。すると、コーチは嘘をついている、情けをかけてくれている、となってしまいます。

 

良い例は「リフティング100回できたよ!」に対しては「進歩してるじゃん!」と声を掛けます。これは、その選手の成長の具合を表すものでありますので、絶対的なのです。そして、共感しています。主観による決めつけではありません。

 

 

 

とかまあ、偉そうなこと言ってますが、ガチで難しいです。そして、今日の私もまた褒めてしまいました。必要な場面もあるとは思うのですが、未だはっきりしていません。そもそも必要なんか?

 

おやすみなさい。